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日本のGOODWOOD、浅間モーターフェスティバル

GOODWOODと浅間

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GOODWOODとは?

フェスティバルの主催者であるマーチ伯爵家 (Earl of March) が、所有するグレートブリテン島南岸のチチェスター北部の丘陵地に12,000エーカーの広大な私有地で行なわれるモータースポーツの祭典。

古くは20世紀初頭のクラシックカーから最新型のF1マシンまでが多数走行・展示され、名車・珍車の類まで普段目にすることのない様々なマシンを間近で見ることができる。また、専門書籍の書店やパーツショップ、モデルカーショップなどが出店し、ビンテージカーのコンクールやオークション、更に移動遊園地や女性向けライフスタイルのお店やイベントも行なわれ、イギリス荘園文化の薫りや開放的な雰囲気から「モータースポーツのガーデン・パーティー」と形容される。

第1回開催が1993年と、この種の催しとして歴史はまだ浅いが、年々規模が拡大し、 2003年には約15万8千人、2011年には推定18万人を記録し世界的に注目されるイベントとなっている。

 

日本自動車史に於ける浅間

戦後復興下に於ける自動車性能向上を目的に、日本小型自動車工業会の主催により1955年に北軽井沢周辺の公道コースで「第1回全日本オートバイ耐久ロードレース(通称:浅間火山レース)」が開催。2年後の1957年にはホンダ、ヤマハ、メグロなど19社の出資と国より補助金により、浅間牧場内に日本初のサーキットである二輪/四輪自動車専用テストコース「浅間高原自動車テストコース」完成。その年に第2回が開催された。

1959年に第3回のレースには、全国から約7万人の観客が訪れる程の国内最大級のイベントに成長。

しかし、高性能化に伴い、未舗装コースである浅間高原自動車テストコースは危険なコースとなっていき、コースの安全性の問題を理由に、浅間でのレース開催の許可を出せなくなり、そのため浅間火山レースは、1959年の第3回大会が最後となる。

もともとは、舗装路となる計画であったが、機密漏洩などを恐れた4輪各社が自社でそれぞれにテストコースを作り始めたため、浅間の舗装計画は実現しなかった。

その一方で1962年、ホンダによって三重県鈴鹿市に鈴鹿サーキットが完成。

以後、1965年には船橋サーキット、1966年には富士スピードウェイと本格的なサーキットが次々と完成し、浅間高原自動車テストコースはレース場としての役目を終えた。

 

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